2010年10月24日日曜日

戦没者追悼式

森山校下(校区)の戦没者追悼式に遺族の方々がお集まりになり法要が勤まりました。


よく考えてみると、戦争による被害者は戦地で命を落とされた兵士だけではなく、戦地で巻き込まれた民間人、戦争で大切な人を亡くされた方々もまた戦争の被害者といえます。また被害者は敗戦国のみにいるわけではありません。うっかりすると私たちは敗戦国だから被害者なのだと思ってしまいますが、相手国、戦勝国 にもまた大切な人を失った大勢の被害者の方々がいることを忘れてはいけません。



日本だけが被害者ではないということは、日本もまた被害者であるだけでなく加害者でもあるのでしょう。戦勝国が加害者で敗戦国が被害者とはっきりと線引きされるものではなく、どちらも被害者であり加害者なのだと思います。



敗戦国が一方的に自分たちは被害者であるということを主張し、戦没者を英霊として祀り上げ、自分たちがおこした戦争を正当化する限り、決して分かり合えるということはありません。自分たちが被害者であるということを主張する時、同時に加害者というものをつくりだしてしまうからです。また戦争を正当化する時、 同時に相手国に悪というレッテルを貼り付けることになります。よくよく考えてみると戦争というものは善対悪の争いではないのです。お互いに自分が正しいと 正義主張し争うのです。だからある意味、正義対正義の争いといってもいいのかもしれません。

お互いが正義を主張する時、お互いに相手に悪というレッテルをお互いに貼り合い、また加害者や被害者というレッテルを貼り合いながら終戦後もお互いに傷つけ合っているのが私たちではないでしょうか。



はじめから加害者と被害者がいるのではなく、被害者が加害者をつくりだし、加害者が被害者をつくりだしているのです。加害者は相手を被害者にしていることを謝り、被害者は相手を加害者にしてしまっていることを謝り、お互いが頭を下げあうことができた時、そこに本当に分かり合うということがあるのではないでしょうか。



自分の家族、自分の国が背負った悲しみに閉じこもるのではなく、相手の家族や国が背負っている悲しみにも気づいていくことができる、そういう戦没者追悼式でありたいと思います。


2010年10月18日月曜日

報恩講17-18日


17日18日、二日間計三座の報恩講が厳修されました。ご法話 は圓休寺前住職の村井昇慶師です。師は83歳のご高齢にもかかわらず、特に報恩講の時期には毎日のように私たちの地域の寺院を中心に精力的にご法話に歩かれています。子を亡くし妻を亡くされたという自らの経験を通して出遇い、いただき直していかれた念仏の教えを私たちに語ってくださいました。後日、ポッドキャストにて配信できればと思っております。



17日の夜は、簡単なお勤めと御伝鈔拝読。その後、親鸞聖人750回忌法要団体参拝に参加される人を中心にお集まりいただき、プロジェクターで練習用のDVDを観ながら『正信偈』真四句目下の練習をしました。私若院が講師を担当させていただきました。



18日、住職に代わって私が登高座に初挑戦(汗)





両日のお斎は近所のおばちゃん二人で作ってくださいました。

こころがこもっていて、とっても美味しかったです!

皆さん完食!!




皆様方のお陰で今年も無事に報恩講をお勤めすることができました。今回、おみがきなど準備段階から記事にしてみましたが、こうしてみると沢山の方々の支えがあっての報恩講だったのだということに改めて気づかされました。

2010年10月16日土曜日

幕張

役員の方々にお集まりいただいて、一緒に幕張をしました。五色の幕を吊り下げるのに構造上、最低5人の人手を必要とするので意外と大仕事になってしまいます。

これでほぼ準備完了?
皆さんのお力添えもあり、今年も報恩講をお迎えできそうです。

*華*華*華*













私の母である坊守がお世話になっている先生方が二日間かけて立てられました。
小原流の先生なので通常の仏華とは少し趣が異なるものとなっており、普段仏華では用いることがない、初めて聞くような難しい名前の華花が散りばめられています。
なんでも、岐阜県まで素材集めに足をのばされたそうです。本当にお疲れ様でした。

2010年10月9日土曜日

大掃除&おみがき


17日18日に報恩講をお迎えするにあたりご門徒の方々と共に大掃除とおみがきをしました。今年は例年のお磨きに加え大掃除もすることになり、小学生から80代の方まで多数のご参加を頂きました。

午前中に大掃除。20〜30代の男性を中心にお集まりいただいて普段手が届かない高いところも梯子をかけて拭き掃除をするという本格的なものとなりました。

午後からはお磨き。皆さん、一生懸命に磨いてくださり、自分の姿が映し出されるくらいにピッカピッカになりました。今月で三歳になる娘も同い年の従姉妹とおみがきに初挑戦。「もくもくとしてるの」とその表情は真剣そのものでした。

最後にみんなで美味しいおはぎを頂きました。

今回、普段あまりお寺に縁のない若い人にも集まっていただいて思ったのですが、それぞれの立場でいろいろな報恩講の迎え方があってもいいんだなということを思いました。
なにもお参りするだけが報恩講ではないんだぞということを気づかされたような気がします。本堂を掃除する、お磨きをする、それぞれの立場でで きることをして報恩講に係わっていただければいいのですね。たとえ法要にお参りできなくても、報恩講に参加できる場をお寺のほうが作っていかなければいけないのだと思います。