2013年11月30日土曜日

12月・1月・2月はお休み

本年5月、見切り発車的にスタートさせた当寺聞法会「きこまいけ」ですが、おかげさまで毎月15~35名の方が参加され、一緒に正信偈の練習と教えを学んでいます。

前回(11月28日)には、「きこまいけ報恩講」を勤めさせていただきました。これを以て年内の「きこまいけ」を終了させていただきますことをお知らせ致します。

当初は、毎月休まずに開催する予定でいましたが、遠方より徒歩や自転車などで来られる方が多いこともあり、積雪など悪天候が予想される12〜2月までを休講にすることに致しました。来年3月より再開致しますのでよろしくお願い致します。

12〜2月はお休みです。
次回は3月28日、午後2時です。

2013年11月29日金曜日

写真展の様子

「浄光寺写真展」
すべてが、シャッターチャンス。シャッター音は、ナムアミダブツ。
・期間 10月12〜18日
・場所 地下礼拝堂
・参加者 浅森久雄、大竹春夫、開田隆人、坂本茂吉、高田進・汪子、竹内昭平、野関哲也・悟・映実子、松島晋、山本和弘(五十音順)


今回、初開催かつ主催者側がド素人(私のことです)ということもあり、参加者の皆さんにはご心配をおかけしましたが、展示方法や額装の仕上げについてなど、たくさんのアドバイスをいただき、手探り状態だったにもかかわらず、無事に開催することができました。皆さんのご協力に感謝いたします。また、開催中、多くの方々にご来場いただきまして、ありがとうございました!また来年!!













2013年11月9日土曜日

『結草』&『クサムスビ』



当寺法話録『結草』と寺報『クサムスビ』のデータが完成し印刷会社に入稿しました。
一足早くホームページに公開しましたので、是非ご覧ください。

内容ですが

◯『結草』報恩講大逮夜(10月17日)の法話録。ご講師は、相馬豊師(白山市・道因寺住職)全8ページ。

◯『クサムスビ』住職就任式の様子(新住職挨拶・前住職挨拶・祝辞)、写真展、追弔会、おみがき、報恩講の様子、きこまいけ(当寺聞法会)のご案内、行事のご案内。全4ページ。

となっております。

ご門徒の皆さんには印刷完了次第、順次手渡してまいりますのでしばらくお待ちください。

住職就任式〜祝辞〜


*祝辞*

住職就任式が滞りなく執り行われましたこと、誠におめでとうございます。私達門徒にとりましても目出たく慶びにたえません。

前住職 藤 宣章様には先代より引き継がれて三十三年間、折にふれて親鸞聖人の教えをはじめ、その時々に心に響くお話をされ、私達をご指導いただきましたこと、改めて感謝を申し上げます。

住職在任中には、本堂修復計画が平成七年六月に着手され、翌年七月二十一日に起工式が行われました。そして三年がかりで平成十年十月、「本堂落慶法要」並びに「蓮如上人五百回忌御遠忌」を音楽法要を取り入れ盛大に執り行われました。同時に設置されました地下納骨堂は近隣寺院にはない斬新さで好評を得ております。本年は冷暖房設備を設置し環境面においても心を配られるなど多岐にわたり浄光寺発展に多大な力を発揮され、盤石な礎を築かれ、若院 藤 任章様に後継を託されました。

新たに住職を継がれました任章様におかれましても、本年五月より毎月二十八日に新住職ご指導のもと正信偈の学びをとおして親鸞聖人の教えを聞く場として「きこまいけ」を発足させ、毎回多くの方が参加し学んでおります。「きこまいけ」と同時に金沢教区第八組の若手としてお寺で落語を開く「おてらくご」を初めて開催され、多くの人に足を運んでいただき仏法に触れる企画をされるなど、宗門発展に積極的に取り組まれております。
 
このように新住職として意欲的に取り組まれていることは、私達浄光寺門徒にとりましても心強く思い、この上ない喜びであります。
 
今後とも、新住職を盛りたて、浄光寺興隆に尽力してまいる所存であります。
 住職交代にあたり門徒を代表してお祝いの詞といたします。
            平成二十五年十月十八日
                        浄光寺門徒総代
                          責任役員 河合忠博

 目録贈呈

感謝状授与

住職就任式〜前住職挨拶〜

*前住職の挨拶*

本日は、住職就任の式にご参集いただき、新住職には浄光寺門徒会より過分なる「目録」の贈呈を、くわえて小生には身に余る感謝のお言葉を頂戴いたし、恐悦の至りにございます。しばらくお時間をいただき、三十三年を振り返り思いつくまま話させていただければと思います。
 
私にとって、昭和五十五年の父の急逝は想定外のことでした。、寺に生まれ、寺に育ったに違いない私ではありましたが、何も寺のことは知らなかったこと、ようやく三十七にして知らされました。一般的には自信に満ちバリバリ仕事を熟す歳ですからね! 誠にお恥ずかしいことですよ!実際、寺の内外からそういう眼を痛く感じておりました。
 
どう住職の道を歩めばよいのか煩悶しておりました、その頃出遭いました一人の古老の言葉が今でも忘れません。いかなる著名な高僧・学者の言葉よりも私にとっては有難く、嬉しかったことです。
 「な~も心配せんでえ~、わしらがついとる、ただ浅の川からこっち(北部)で光る処となって欲しい。けっしておおきなる光ではなくて、どんなに小さくてもピカッと光り輝くところを創って欲しい」と言われたことです。後の部分が自分には重くのしかかって、返って一体どうすればいいのかわからなかった。どうして鈍が光を放ち輝けるなんて不可能!嫌なこという人だな~と、ずっと思っておりました。しかし短い言葉ながら、長らく頭の片隅に残り続け忘れることはありませんでした。
 
最近やっとその意味のありがたさを感じられるようになってきました。一寸説教ぽくなりますが、しばらく我慢してください。親鸞さまは浄土の一つとして
 「光耀たがひにかがやけり 華果枝葉またおなじ 弥陀を帰命せよ」と表現されてますわ。大意は浄土には樹々の光が互いにかがやき、一樹の中でも華・果・枝・葉がまた互いにかがやいている。このような本願によって聚められた仏・弥陀をたのめと言うことでしょうか。ことに光耀とかがやけりが意味ある言葉と思ってます。仮名のかがやけりにわざわざルビを「映発す」と記しておられる。因みに「映」は他から光を受けて、そのものが本来持つ色彩が盛り上がってハッキリ見えることだと。面白いのは「受けて」とあること。これは「いただく」ともいえましょう。すべてをです。自己分別はいらんのですよ。そこから解き放たれるというか、前の古老のアドバイスも其処にあったんでは?謙虚にして、あるがままに生きよとのお導きであったのしょう。くわえて「曜」ではなく「耀」と拘ってあることも、小さくとも光り輝く処への願いが読み取れ、長年、法に勤しまれた方の一言であったのですよ。あわせて小生のため、ご批判をいただいことに深謝の他ございません。
 
私が賜ったご厚情、ご叱責に倍し新住職にも建設的ご批判、ご指導を頂戴して一寸輝く処が皆様とともに、受け継いでいかれることを念願して御礼の挨拶とします。
       平成二十五年十月十八日
                        浄光寺前住職 釋受宣

住職就任式〜新住職「表白」並「挨拶」〜

10月18日、浄光寺報恩講・結願日中に併せ、住職就任式が執り行われました。


*表白*


敬って 大慈大悲の阿弥陀如来 人界の教主釈迦如来 浄土真宗の開祖親鸞聖人 当山浄光寺歴代住職・寺族・門信徒並びに十方三世の三宝に白して言さく
本日ここに「報恩講結願日中」並びに 「龍向山浄光寺 第二十三世住職就任式」をお勤めするにあたり 謹んで尊前を荘厳し 恭しく香華を捧げて 有縁の法類 門信徒と共に 仏祖の御前に 住職就任の決意を申し奉る

それ惟みれば阿弥陀如来は超載永劫の昔 濁世の凡夫を救わんと安養の浄土を建立し 宗祖親鸞聖人 如来の正覚を受け継いで浄土真宗を興して 念仏成仏の道を示し給えり
 
それよりこのかた その勧化を蒙り真実の信心を慶喜する門呂 幾千万ということを知らず また報恩の誠より出でて 仏法聴聞の場が建立されること 数多なり
 
当山もまたその一なり
一四六三年 ここに一人の僧あり 名を浄教房圓成と呼ぶ 浄土真宗の法灯を浄光寺に掲げ給えり
 
以来 五百五十年の間、歴代住職は宗祖親鸞聖人の教えを仰ぎつつ 怠ることなく衆人と共に 仏法聴聞に励み 法の灯を絶やすことなく その相続に苦心給えり
 
今ここに 第二十二世釋受宣住職より法灯を譲り受けし釋受任 その流れをくむとはいえども はなはだ浅学非才にして その器に非ざる故 慚愧の念いよいよ深し 
 
住職という立場に安住するに非ず 娑婆界に埋没するに非ず 親鸞聖人の「非僧非俗」の精神に立ち返り その間に於いて 自信教人信の歩みを重ね 門徒同朋と共にお念仏の生活に勤しみ み法の灯を絶やすことなく 受け継いでいくことを
敬って申す

       


*新住職挨拶*

本日は、お忙しい中「浄光寺報恩講」並びに「住職就任式」にご参詣いただきまして、誠にありがとうございます。平素より皆様方には浄光寺興隆に格別なるご尽力を賜わりまして厚く御礼申し上げます。

さる二月、総代の河合忠博さま、細川三千夫さまに帯同いただき参加しました住職修習に於いて、親鸞聖人御真影のもと浄光寺第二十三世住職を拝命賜わりましたことを、ここに謹んでご報告申し上げますとともに皆様方へのご報告が遅れましたことをお詫び申し上げます。

昨年、沖縄で聞いた話しですが、沖縄には、大谷派のお寺が一ケ寺しかありません。最近ようやく別院が建てられたという真宗未開の地といっても過言ではないようなところなのです。そのようなところですが、地道な活動によって少しづつ念仏者が誕生しているのです。そしてその中の何人かの人たちが、お寺を建てようと動いていらっしゃるそうです。今からお寺をはじめるという発想がなかった私は、大変驚かされました。

 
思えば、お寺に生まれ育ち三十九年、寺があることが当たり前のように錯覚しておりますが、はじめから浄光寺というお寺があったわけではありません。当然そこには出発点があります。お念仏の教えに出遇えたことを喜びとされた人が、その教えを伝え広めんが為に、仏法聴聞の場が開かれた、それがお寺の原点であります。

今を遡ること五百五十年昔、浄教房圓成によって浄光寺に法灯が掲げられたとされます。そしてその法灯が今、私にバトンタッチされるわけですが、その間消えることなく私のところにまで届けてくださった、歴代住職並びに無数のご門徒の皆さんのご苦労を思うと、住職の責務に身が引き締まる思いであります。

しかし、私に与えられた仕事は、お寺をただ相続させていくことではありません。その出処、すなわち浄教房圓成や親鸞聖人が喜びとされたお念仏の教えに皆さんと共にもう一度出遇い直していくことだと受け止めております。
 
さきほどの表白の中にも述べましたが、住職という立場に安住するのでもなく、娑婆世界に埋没するのでもなく、その狭間において自身が抱える迷いの身と向き合いながら、皆さんと共にお念仏の生活の歩みを重ねてまいりたいと思います。
 何卒、旧に倍して格別のご指導ご鞭撻を賜わりますようお願い申し上げます。

      平成二十五年十月十八日
                                                                 龍向山 浄光寺
                          第二十三世住職 釋受任